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集団的自衛権は抑止力にならない

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安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会報告書」(以下「報告書」と略称)の答申を受けて行われた平成26年5月15日の安倍総理の記者会見は、

報告書を検討する際の基本的方向性を国民に説明する

目的で行われたものでした。基本的方向性として示されたのは、

「私たちの命を守り、私たちの平和な暮らしを守るため、私たちは何をなすべきか」

という解決すべき課題の方向性と

「自衛・・・のための必要最小限度の武力の行使は許容される」

という従来の方針を堅持しつつも

「憲法解釈の変更が必要と判断されれば・・・閣議決定」

するという課題解決策の方向性でした。説明はありませんが、閣議決定をするというこの場合の意味は、

これまで違憲だと判断していた集団的自衛権の行使を解釈の変更で合憲に訂正する

というもので、これが今回の報告書や会見の真の目的でもあります。

集団的自衛権は憲法第9条の改正無しには合憲化できない

とする世論が過半数ではありますが、

憲法第9条の解釈変更を何度も容認してきた国民性

からすると、今回も多くの人が無関心のまま黙認すると思います。それは、憲法第9条の解釈変更の歴史を見ても明らかです。そもそも、

自衛のためでも軍隊は持てないというのが憲法第9条の基本原則

であったことは、現行憲法を審議中の昭和21年6月26日の衆議院本会議で、吉田茂総理が「自衛権ニ付テノ御尋(おたず)ネデアリマス、戦争抛棄(ほうき)ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居(お)リマセヌガ、第九条第二項ニ於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ抛棄(ほうき)シタモノデアリマス」(報告書からの引用)と答弁したことからも明かです。

しかし、昭和29年12月22日の衆議院予算委員会で、大村清一防衛庁長官が「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。(略)他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(略)自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない。」(報告書からの引用)と発言したことで、

自衛のために軍隊ではない自衛隊を持つのは憲法第9条に反しない

という憲法解釈の大転換が図られ、この大転換が今日民意を得ていることも明かです。これほどの大転換が憲法解釈の変更だけで実現できたわけですから、解釈の変更だけで集団的自衛権やPKOやPKFや徴兵制が今後実現化しても不思議ではありません。

それでは、今回のお題にある

集団的自衛権とは何でしょうか?

防衛省のサイトを見ると

自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止する権利

と定義されています。この定義は、安倍総理が説明する集団的自衛権と重なるものですが、

防衛省はこの集団的自衛権の合憲性を明確に否定

していますので、今回の会見で安倍総理が起こりそうもない様々な事例をわざわざ持ち出したのは、国も否定している集団的自衛権の必要性を国民に強く印象づける必要があったからです。

現状の外交問題が後押しを続け集団的自衛権が急速に民意を得ていくと、未来の国民が抱くのは残念ながら安心ではなく相変わらずの不安です。

日本は戦争をする又は戦争に巻き込まれる国になるのではないか?

という不安が最大のものですが、個別だろうと集団だろうと自衛隊が自衛権を行使するためには

急迫不正の侵害に直面し、自力救済以外に方法がない場合に限り、必要最小限度の実力行使は許される

という三要件を満たす必要があるので、

戦争無能力のままの日本と集団的自衛権を共同で行使できる国は皆無

というのが本当のところです。つまり、

防戦一方の自衛権は味方に最大の犠牲を強いる

だけでなく、

勝利できず、終わらせることもできない戦争状態に甘んじる愚行

ですから、米国ですら代理戦争をやる覚悟がなければ、例えば米軍が尖閣諸島での戦闘に参加することはありません。米軍が前面に出てこなければ中国は日本の集団的自衛権を恐れる必要もありません。尖閣列島を中国に実効支配された場合、日本に残された手段は集団的自衛権の行使ではなく国際社会への訴えだけでしょうから、

平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した覚悟を日本人は思い出す必要があります。

それでも、中国に実効支配された尖閣列島を奪還するために自衛権を行使するというのなら、尖閣諸島が終わらない紛争地域になり、多くの国民の血が流され続けることを覚悟しなければなりません。中国は戦争のルールで、日本は正当防衛のルールで血を流し合うわけですから、不利なルールで血を流す日本が憲法で示した覚悟を捨て戦争のルールで戦うのは時間の問題です。

日本が戦争をする国になるのは、多くの日本人がこの覚悟を捨てるとき

なのです。そして、そのときにはもうひとつの覚悟も必要です。

自衛権の行使は相手に急迫不正の侵害と評価され、自衛権の応酬という武力紛争を自ら招くことになるという覚悟

を。尖閣諸島で自衛権を行使するということは、単純にそういうことなのです。

「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」

気持ちが多くの日本人にあるのなら、自らにハンデを課した戦争をするより、

安全な国際社会の実現に精進することがわれらの安全と生存を保持する最も効果的な方法

に思えるのは、私だけでしょうか?



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