人生の最終章で、亡くなった人が現れる「お迎え」について、宮城や福島の在宅緩和ケアを利用した患者の遺族500人以上を調査した結果が「クローズアップ現代」で紹介されていました。それによると、

自宅で看取られた人の4割が「お迎え」を体験し、そのうちの9割が死への恐れや不安が和らぎ、穏やかな最期を迎えた

そうです。この調査の背景には、「お迎え」が終末医療の課題である「穏やかな臨終」の確保に役立つのではという狙いがあるようですが、量と質を落として福祉経費の膨張を遅らせようとする現在の国の福祉政策は、「早く死ね」と言わんばかりの政策ですから、穏やかでは無いものの「速やかな臨終」の確保はできているものと思います。

死という結果は必ずやってきますが、死に対する人間の反応はワンパターンしかありません。

恐怖 ⇒ 怒り・悲しみ ⇒ 諦め・受容

と変化していくパターンです。このパターンからすると、「お迎え」は諦め・受容の段階になります。

医療費を抑えるために在宅医療を強制

する医療保険制度は、恐怖や怒り・悲しみの期間を短縮させ、一気に諦めと受容に導く特効薬になっています。

老老介護の世帯から寝たきりの独居老人世帯への移行を早め、孤独の辛さから死を待ち望む寝たきり老人を増やす

ことで、国は医療費、介護費、年金支給額の増加を遅らせることに成功しています。

表現は悪いですが、医療機関による介護を認めず、介護サービスの質と量を落とし、

国民の長生きより現行社会保障制度の延命化を優先

させることで、長寿を阻止するぞという明確な狙いがあるのでは、と思ってしまいます。寝たきりの生活を保障するのではなく、むしろ

老人を社会の働き手として活用し、寝たきりにならない保障を政策の柱に据え

、天下り先確保が最優先の社会保障制度から社会保障全体を一元化して、生存権の保障を具体的に全国民に保障する制度にすれば、これ以上福祉に頼る人を増やさなくてすみますので、社会保障経費の増加を恐れる必要も無くなります。

社会保障制度の目的は、社会保障を必要とする国民をゼロにすること

です。

安心の老後も自己実現を始めとする全人権の保障であって社会からの引退では無い

はずです。そして、

お迎えは待ち望むものではなく、「あらっ、もう来たの」と言わせる出来事

にすべき義務が国にはあるはずです。

選挙も近いことですし、

全国民に「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」をちゃんと保障した上で、国防だの雇用だの景気回復だのを議論する

政治家を、そろそろ選んではどうでしょう。

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