憲法の基本三原則は試験に出るから覚えておくよう教わった記憶はありますが、三原則の必要性や私たちとの関わり、課題と対策については何も教わった記憶がありません。

戦争の歴史に臭いぞと蓋をして、ひたすら生活の向上にまい進してきた私たち

ですが、未来の国民から「なぜ蓋をして隠す?!」と非難される時期がやってきましたので、今回は世間が蓋を開ける前に、何が臭いのかを確認してみたいと思います。

さて、日本国民は、憲法の前文で

「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」

と世界に宣言しています。戦争の加害者という立場上、これ以外の選択肢は皆無という事情はありましたが、この文言の意味を議論も教育もしてこなかった歪(ひずみ)が、一触即発の国際関係で国民に予想もしていなかった覚悟を迫っています。それは、

安全と生存が脅かされたら、日本国民は国と共に滅びても悔いは無いよね

という覚悟です。これが、タイトル中の「憲法と心中」の意味です。

憲法と心中する覚悟を知らぬ間にさせられていることを多くの国民は知りませんし、そんな気もさらさらありません。それは国民の行動からも理解できます。

自衛隊が市民権を得たという事実は、国民の安全と生存が脅かされたら自衛隊が反撃してもいいという主権者の同意

でしょうが、

他国から武力攻撃を受けても日本に反撃する権利はありませんよ

というのが憲法第9条の主旨ですから、全有権者の同意を得られたとしても自衛隊が応戦すると違憲になります。

これではまずいということで、

日本政府は、他国からの武力攻撃に対する反撃は憲法第9条も認めていると解釈を変更

していますが、真逆の解釈は国民投票逃れの違憲行為ですし、何よりも「専守防衛」で対処できるほど今ある危機は甘くないというのが現実です。

急迫不正の侵害が完了すると反撃という正当防衛手段は認められない

からです。つまり、北朝鮮からミサイルが飛んできて日本の都市が消滅してしまうと、次の攻撃が差し迫っていると確認できない限り自衛隊は北朝鮮に反撃できません。中国が尖閣諸島を実効支配しても、領土権の侵害が完了しているので自衛隊はこれを排除できません。

自衛隊の専守防衛も「相手から武力攻撃を受けたときにはじめて防衛力を行使し、その態様も自衛のための必要最小限にとどめ、また、保持する防衛力も自衛のための必要最小限のものに限る」という意味ですので、実戦では足かせが多すぎて反撃のタイミングを逃すのが落ち

でしょう。このため、具体的な反撃は日米安保頼みですべて米軍任せですので、米国の事情で反撃を控える場合には打つ手がありませんし、逆に米軍が過剰防衛に走った場合にも歯止めが利きません。昨今の憲法改正論者の目的は、これらの不具合を解消することにあります。

中国や北朝鮮の脅威にさらされて、今の政府は憲法と心中しない国づくりを目指しています

ので、憲法改正では第9条と共に前文も改正しようとするでしょう。なぜなら、国連憲章の前文にある

「寛容を実行し、且つ、善良な隣人として互いに平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ、共同の利益の場合を除く外は武力を用いない」

国になることが、国民の安全と生存確保をより強固なものにし、国際平和へより貢献できると説明できるからです。

憲法改正の内容も国連憲章の丸写しなら国民の同意は容易

だと国は判断しているはずです。

政府の思惑どおり憲法改正が実現した暁には、

「日本人は米国と心中できるのか?」

というタイトルでブログに記事を掲載したいと思います。中国がこのまま軍拡を続ければ、米国の顔色を窺(うかが)うことなく行動する時代がやってきます。

中国と米国との間で遠からず雌雄を決する日が来る

でしょう。その日まで、

日本が一触即発の最前線に立たされるのは避けられないので、そこまで見据えた覚悟が日本人に求められている

のは確かです。

結論だけ言えば、北朝鮮から攻撃を受け、領土を中国に奪われる事態に至っても、

日本に耐え難きを耐え忍び難きを忍ぶ覚悟があれば、軍隊は不要

です。戦争は得るものより失うものが大きい行為です。軍事予算は善良な隣人を増やす国際貢献に活用した方がより確実に日本の安全保障を確保できます。

蓋をした過去の歴史が、私たちにそのことを伝えたがっています。

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