1 views

そもそも国民の多くは安保の基本を教えられていない

報道各社の世論調査では、「安保法案、説明不足81%」という結果が出たようですが、その原因は明白です。

現行憲法が制定された時、日本の主権者はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)

でした。この事実上の主権者は、

民意を問うことなく、日本に自衛権の行使を放棄させた

ので、

当然の結果として、「攻撃されても反撃しません」と知らぬ間に一筆書かされた格好の国民には、憲法や安保に無知・無関心でいてもらうしかなかったというのが正直なところ

でしょう。ということで、「憲法って何?」という方を対象に、集団的自衛権の対立点を、可能な限り池上彰スタイルで説明したいと思います。

集団的自衛権は憲法第9条のどの条文に違反するのか

そもそも、集団的自衛権の何が違憲なのかについて多くの国民は誤解しています。

日本が集団的自衛権を有することは世界が認めているので(国連憲章第51条参照)、違憲か否かを議論する意味はありません。何が違憲なのかというと集団的自衛権を実際に行使すること

です。納得がいかない方は憲法第9条第1項を確認してください。行使を放棄するとちゃんと明記されています。同項には

「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」

つまり、

憲法は国際紛争を解決する手段として世界が容認している国権の行使を放棄

したと明記しているわけです。そして同条第2項で放棄したものを列挙しています。具体的には

「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない国の交戦権は、これを認めない。」

と書かれています。つまり、

「前項の目的を達するため」という条件付きながら、戦力と交戦権を放棄

しているわけです。ちなみに、

交戦権とは戦争をする国に世界が認めている様々な権利

のことです。

憲法第9条のどこが真逆の解釈に変わったのか

そもそも、憲法は自衛権の行使を放棄

していました。その証拠に、
現行憲法を審議中の昭和21年6月26日の衆議院本会議で、吉田茂総理が「自衛権ニ付テノ御尋(おたず)ネデアリマス、戦争抛棄(ほうき)ニ関スル本案ノ規定ハ、直接ニハ自衛権ヲ否定ハシテ居(お)リマセヌガ、第九条第二項ニ於テ一切ノ軍備ト国ノ交戦権ヲ認メナイ結果、自衛権ノ発動トシテノ戦争モ、又交戦権モ抛棄(ほうき)シタモノデアリマス」(「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会報告書」(以下「報告書」と略記)からの引用)と答弁しています。

最初に行われた真逆の解釈は、憲法制定の8年後です。昭和29年12月22日の衆議院予算委員会で、大村清一防衛庁長官が「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。(略)他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(略)自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない。」(報告書からの引用)という内容でした。

憲法は自衛権の行使を放棄していないし、自衛隊は戦力ではない

という変更内容ですが、

今日では国民も憲法学者も多くがこの真逆の解釈変更を前提に議論をしています

ので、集団的自衛権を憲法解釈の変更だけで実現させ、国民の理解はゆっくり時間をかけて得ていくという安倍総理のやり方は成功すると思います。集団的自衛権が民意を得たらどうなるのかについては、先例が腐るほどあります。

戦後の戦争はすべて自衛の戦争だと主張されていますので、日本は他国並みに戦争ができる国になっている

のは確実です。今議論している制約は、安保法案と呼ばれている法律上の制約であって憲法上できないという制約ではありません。「憲法上許されない」のではなく、「現在の法律では許されない」というだけのことです。ですから、

徴兵制は違憲か、他国での軍事行動は違憲かという議論は、他国を見れば明らか

です。なぜ明らかかといえば、

自衛権の行使を認めた瞬間から、よって集団的自衛権を議論するはるか前から、日本も他国のように普通に戦争のできる国にもうなっているから

です。認識していないかもしれませんが、法律さえあれば、他国がやっていることはすべてできる環境に日本国民は置かれているのです。

政府の戦略は、戦争アレルギーを国民から徐々に取り除き、最終的にはアメリカ国民並みにすること

です。アメリカは戦争という手段を自衛権の行使だけに限定していませんが、日本が米国に追従していくのは近所に喧嘩相手がいる限り避けられませんので、

日本が次に解釈だけで憲法第9条を変更するのは、自衛権の行使であれば先制攻撃を憲法は否定していない

になる予定です。

「尖閣諸島を取られたら取り返す」に賛同する人は確実に多くなっていますし、今後益々多くなるから

です。

憲法の解釈は時代を超えて不変であることが原則

今の政府のように、

「昨日までは違憲でしたが今日から合憲としますのでよろしく」が通用するなら、例えば、「自衛隊法を改正して、国民に自衛隊に入隊する義務を課します」も可能

です。

現行の憲法では、徴兵義務は憲法第18条の「苦役」にあたり違憲とするのが政府の見解ですが、いつでも、「苦役にあたらない」と解釈を変更することは可能だから

です。今は笑い話でも、戦争状態が続けば、避けられない現実となります。

「憲法解釈は変えられる」を国民が黙認する限り、日本は不安定な社会になり、国際的にも二枚舌の国になってしまいます。権力者や多数意見にこの国を好き勝手にさせないことが、憲法改正を難しくしている理由です。政府が自由に違憲を合憲に変更できるとすれば、それを許す国民の意識こそが最悪の憲法違反

だと思います。

日本の未来は、国民が選択した延長線上にしかありませんが、選択した覚えはないという方もこの延長線上にいることだけはお忘れにならないようお願い申し上げます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA