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大多数の憲法学者が、集団的自衛権の行使は憲法上許されないと主張していますので、安倍総理が合憲と主張するなら国民を納得させる説明が必要ですが、現実には相変わらずの言葉遊びに終始しています。そこで、安倍総理の立場から中高年にもわかる説明を試みました。

一緒に歩いていた娘が暴漢に襲われたら、娘を守るためにあなたは反撃しますか?

イエスと答えた方と同じ理由で、国は個別的自衛権は合憲だと主張しています。

他国やテロリストという暴漢から国民を守るのは国の義務であり自衛隊の任務

だからというのがその理由(参考下記※1)です。しかし、この瞬間から国は苦しい憲法解釈を強いられることになりました。その最大の苦し紛れが、

憲法は「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定しているのにどうして自衛隊があるの?

に対する答弁です。

戦力は戦争をするための武力だが、自衛隊は暴漢に正当防衛を行使するための武力だから戦力ではない

というのが答弁の内容(参考※2)です。

相手を殴る点に違いは無いが、ケンカと娘を助けるのとでは殴る目的が違う

と釈明する事例のお父さんと一緒ですね。

デート中に彼女が暴漢に襲われたら、彼女を守るためにあなたは反撃しますか?

さて、この事例は集団的自衛権の事例です。最初の事例と似ていますが、娘さんは法的に守る義務があるのに対し彼女の場合にはありません。この点が違うので、あなたが彼女を助けなかったとしても法的に責任を問われることはありません。もちろん助けても法的責任は問われません(やり過ぎなければ)。しかし、見て見ぬふりだと道義的責任を問われますよね。国に対する道義的責任への非難は個人の比じゃないですから国際的には大問題です。暴漢に襲われている人がいたら助けることができる、それが正当防衛ですから、正当防衛を行使するための自衛隊が、

国内を自衛隊と共同で警備中の米軍や共同でPKOに参加している国への武力攻撃に対する武力行使は合憲

であり、

公海上で船舶を襲っている海賊やPKO展開地域の村を襲撃している集団への武力行使も合憲

と憲法解釈することは、既定の憲法解釈の範疇で行えます。なので、あえて集団的自衛権を持ち出す必要はなかったと思われます。
それでは、なぜ安倍総理は集団的自衛権にこだわるのでしょうか?

集団的自衛権は相互ボディガード契約

集団的自衛権は相互ボディガード契約によって発生する権利に似ています。暴漢に対し共同で武力行使をする点が個別的自衛権と異なる点ですが、

喧嘩で暴力沙汰になったときでも契約の相手方と共に武力行使をしなければならない

点も個別的自衛権と異なります。抗争が長引くと契約の相手が襲われる度に武力を行使する羽目になるだけでなく、襲われないように警護する必要も生じます。

他人の喧嘩に加担してしまうことになる

のです。この契約の相手方として最悪なのが米国です。

攻撃は最大の防御を実践する米国は、戦争を国際紛争を解決する手段として一瞬たりとも放棄したことがない

ので、何のためらいもなくイラク戦争を始めたように、南沙諸島でも中国と対峙することが予想されます。ですから、

アメリカの戦争に巻き込まれるという危惧は、大げさな例えではなく避けられない現実

なのです。安倍総理が

アメリカのやり方が日本に長期の平和をもたらしたと信じるなら、軍事面でも独立した日本が戦争を辞さない国を目指すのは当然

の未来かもしれません。

以下、脚注

第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
第二項 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

(※1、2)
昭和29年12月22日の衆議院予算委員会で、大村清一防衛庁長官が「憲法は戦争を放棄したが、自衛のための抗争は放棄していない。(略)他国から武力攻撃があつた場合に、武力攻撃そのものを阻止することは、自己防衛そのものであつて、国際紛争を解決することとは本質が違う。従つて自国に対して武力攻撃が加えられた場合に、国土を防衛する手段として武力を行使することは、憲法に違反しない。(略)自衛隊のような自衛のための任務を有し、かつその目的のため必要相当な範囲の実力部隊を設けることは、何ら憲法に違反するものではない。」と答弁

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